オーストラリアの首都はどこ?
オーストラリアと言えば日本の約20倍の面積を持つ国土内に、シドニー、メルボルンなどの主要大都市、ケアンズ、ゴールドコーストなどの観光地、西オーストラリアにはインド洋に面した風光明媚なパースなど、主要都市や有名な観光都市が点在します。
ですが、ふっと「オーストラリアの首都はどこ?」と聞かれると、「あれっ、シドニー?メルボルン?」と答えに窮する人も多いのでは無いでしょうか。
今回は、オーストラリアの首都はどこなのか、どこにあるのか、オーストラリアの首都について掘り下げて行きたいと思います。
オーストラリアの首都はどこ?
6つの州と2つの特別地域から成り立つオーストラリアですが、そのオーストラリアの首都は、最大の人口を誇るシドニー?、それとも人口2位を誇るメルボルン?、いずれも違います。
オーストラリアの首都は、オーストラリア首都特別地域にある「キャンベラ」になります。
シドニーのあるニューサウスウェールズ州とメルボルンのあるビクトリア州の州境あたり、地理上ではニューサウスウェールズ州内にある、オーストラリア首都特別地域に位置します。
後述「オーストラリアの首都「キャンベラ」の歴史と成り立ち」で詳細は述べますが、1901年オーストラリア独立に際し、首都を巡る争いから首都機能を持つ計画都市として誕生したのがキャンベラとなります。
人口は約46万人、主要都市での人口順位では8番目、ニューサウスウェールズ州のニューキャッスル(7番目)より約3万人少なく、クイーンズランド州の有名観光地サンシャインコースト(9番目)より約12万人多い人口となり、人口の80%以上が沿岸部に集中するオーストラリアでは、内陸部では最大の人口を誇ります。
首都機能を持つキャンベラには、オーストラリア国会議事堂、首相官邸、高等裁判所などの政府機関が集中し、在オーストラリア日本国大使館をはじめ、各国の大使館がキャンベラに位置します。
これらの政府機関以外にも、オーストラリア戦争記念館、オーストラリア国立博物館、オーストラリア国立美術館やオーストラリア国立大学など、多くの社会的・文化的施設があります。
毎年春の時期9月から10月には、キャンベラ最大のイベントであるお花の祭典「フロリアード」が開かれ、日本からも多数の観光客の方が訪れます。
オーストラリアの首都の場所
オーストラリアの首都キャンベラは、人口第1位の都市シドニーがあるニューサウスウェールズ州と人口第2位の都市メルボルンがあるビクトリア州の州境あたり、地理上ではニューサウスウェールズ州内にあるオーストラリア首都特別地域に位置します。
シドニーからは約290km、メルボルンからは約670kmの場所にあります。
シドニーからは車で約3時間と言う事で、陸路で行く場合はシドニーから足を伸ばす方が多いですが、カンタス航空はじめ、ヴァージン・オーストラリア航空やジェット・スター航空など多数の国内線フライトがオーストラリア各地から飛んでいます。
残念ながら日本からキャンベラまでの直行便フライトは運行がありませんので、日本からキャンベラを訪れる場合は国内線に乗り継ぎ、またはシドニーから陸路で訪れる必要があります。
計画都市として人工的に造られた都市・キャンベラは、周りをオーストラリアらしい大自然に囲まれています。キャンベラから車で南へ約40分のナマジ国立公園(Namadji National Park)にはカンガルーやワラビーなど多くの野生動物が生息し、またオーストラリア先住民族アボリジニの壁画が残され、国立公園内の森林地帯の大自然と共にオーストラリアの歴史を感じられる場所です。
オーストラリアの首都「キャンベラ」の歴史と成り立ち
前項「オーストラリアの首都はどこ?」で述べた通り、首都のための計画都市として誕生したキャンベラですが、なぜそのような経緯に至ったのかと言うと、オーストラリア人口第一位の都市シドニーと人口第二位の都市メルボルンの首都を巡る争いから、その妥協案として新しく首都機能を持つ新都市建設の計画が持ち上がり、誕生したのが計画都市キャンベラになります。
元々オーストラリアは先住民族アボリジニが暮らす土地でしたが、1770年イギリスのジェームス・クック船長がオーストラリア大陸へ上陸、その後流罪植民地としてイギリス人の移民が始まり、1851年ニューサウスウェールズ及びビクトリア州で金が発掘された事により、ゴールドラッシュに湧いたシドニー、メルボルンは人口が爆発的に増加、工業化が進みました。
1901年イギリスの植民地から独立、オーストラリア連邦が設立されるに際し、既にオーストラリア二大都市であったシドニーとメルボルンの間で、首都誘致を巡る争いが勃発、その妥協案として首都機能を持つ計画都市の建設が決まり、1908年キャンベラがオーストラリアの首都建設地として決まりました。
分かりやすく日本で例えるならば、東京と大阪が首都を争い、その中間名古屋の内陸部の山奥に、計画都市を建設した、そのような感じでしょうか。
このようにキャンベラは、オーストラリアの他の都市とは異なり、当初から首都として設計、建設された歴史を持つ、人口都市という成り立ちを持ちます。
人口都市として計画され、建設されたキャンベラですが、その建設に際しては、国際コンペティションが行われ、アメリカ・シカゴの建築家である、ウォルター・バーリー・グリフィンとマリオン・マホーニー・グリフィンによって提示された建築案が採用され、1913年に首都機能を持つ計画都市キャンベラの建設は始まり、1927年5月9日キャンベラは正式にオーストラリアの首都として制定され、1901年のオーストラリア独立以降暫定的な首都となっていたメルボルンからキャンベラへ首都機能が移されました。
人口の湖バーリー・グリフィン湖の周りに首都機能が配置され、戦争記念館と国会議事堂が一直線になるよう設計されたその様は、まさに人口都市らしい機能美を誇り、自然の美しさとはまた一味違う雰囲気を感じられます。
オーストラリアの首都に関するよくある質問(FAQ)
オーストラリア首都特別地域にある「キャンベラ」になります。
オーストラリアの首都キャンベラは、人口第1位の都市シドニーがあるニューサウスウェールズ州と人口第2位の都市メルボルンがあるビクトリア州の州境あたり、地理上ではニューサウスウェールズ州内にあるオーストラリア首都特別地域に位置します。
シドニーからは約290km、メルボルンからは約670kmの場所にあります。
1901年イギリスの植民地から独立、オーストラリア連邦が設立されるに際し、既にオーストラリア二大都市であったシドニーとメルボルンの間で、首都誘致を巡る争いが勃発、その妥協案として首都機能を持つ計画都市の建設が決まり、1908年キャンベラがオーストラリアの首都建設地として決まったと言う経緯です。
分かりやすく日本で例えるならば、東京と大阪が首都を争い、その中間名古屋の内陸部の山奥に、計画都市を建設した、そのような感じでしょうか。
- 国会議事堂
- オーストラリア戦争記念館
- マウント・エインズリー展望台
- クエスタコン(国立科学技術センター)
- オーストラリア国立博物館
- (番外)お花の祭典「フロリアード」(毎年9-10月の春に開催)
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